2007年01月22日

琉球村

■『琉球村』



入り口ではシーサーがお迎えしてくれます。



沖縄の伝統的な民家の写真



沖縄の昔の道を再現したものです。
残念ながら、沖縄本島で現存しているこの様な場所を見つけることは困難なようです。



道とお店のバランスが良かったので撮ってみました。
ここで、アイスクリームも食べました…。

次回は、もっとゆっくりと廻ってみたいな~。
いろいろなことを体験できる場所もありますので、創作意欲のある方にはぴったりのスポットだと思います。

琉球村は沖縄の文化・芸能・自然を見て体感できるテーマパークです。
「工芸品を作る」、「おばあと語る」、「沖縄の文化を学ぶ」がこの村での3つのテーマです。
昔ながらの沖縄観光をお楽しみ下さい。


※ 『琉球村』 の詳細はこちら ⇒ 琉球村

(20061227旅)  

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2007年01月20日

玉陵

■『玉陵』 (たまうどぅん) 【世界遺産】 沖縄







『玉陵』 はその風貌というかたたずまいを雑誌で見たとき、その存在感に是非とも自分の目で見たいものだと思って行きました。
場所は首里城のすぐ脇にあります。

『玉陵』 の敷地内に入った時には、とても不思議な感じがしました。
まずはその形ですね。
始めて見ましたよ、あのような形のお墓は…。
そして、造られている材質については、ある程度の経年変化によりかなり味が出ていて遺跡みたいな雰囲気を醸し出していました。

お墓に対する考え方にも違いがあるものだと思いました。
まず、大きなお墓があって、その中に代々の遺骨がそれぞれ祭られているのです。
お墓の内部空間は人が入れるくらいに大きさがあります。

行く前は3つお墓がくっついていたので過去のえらい王家の3人が祭られているのだと思っていましたが、実際は違いました。
向かって左側が代々の王のお墓で、右側がその子供達である王子王女のお墓で、真ん中は遺体をある程度の期間安置する場所だということでした。

へ~って思いましたよ。

また、埋葬の仕方も変わっている様子でした。
それらは隣接する資料館にいろいろ説明が書いてありました。

沖縄の一昔前の歴史文化に触れた瞬間でした。

玉陵(たまうどぅん)は、見上森(みあげむい)にほうむられていた琉球(りゅうきゅう)の王様・尚円(しょうえん)の遺骨をうつすために、息子の尚真(しょうしん)が1501年につくらせた王家のお墓です。
大きさは2,442平方メートルあり、王様とその一族がねむっています。
墓の前には、サンゴをしきつめた庭がもうひとつあり、そこに建てられている玉陵碑(たまうどぅんひ)には、ここにほうむられるべき人が書かれています。
玉陵は、自然の岩山をけずってつくられたもので、当時の板ぶきの首里城(しゅりじょう)をまねています。
墓は、東・中・西の3つのゾーンに仕切られています。


※ 『玉陵』 の詳細はこちら ⇒ 玉陵

(20061228旅)  

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2007年01月18日

やちむん喫茶シーサー園

先日、訪れた沖縄の 『美ら海水族館』 からの帰り道に立ち寄って気に入ったお店があったのでご紹介します。



こんな外観です。
南国沖縄といった木々の生い茂りぶりにしばし感動!



2階の喫茶スペースです。
なななんと、手摺などは一切ありません。
でもこれが開放的でのどかでたまらなく居心地が宜しいのでした。



そして、屋根にはお店の名の通りシーサーがたくさん据わっているのでした。
その様子はまるで猫を飼っているかの様でした。

このお店に来るためだけに沖縄へ行ってもいいな~と感じましたよ。

※ お店情報はこちら ⇒ やちむん喫茶シーサー園

自然の空気はいいもんだ。
山中を吹き抜ける風は心地よい。
縁側に座ってボーッと山を眺めて、屋根の上のシーサーと目が合って(?)、耳を澄ませば、小鳥の鳴き声が聞こえてくる…。
こんなに静かな場所があったんだね、なんて言いながら、気の合う仲間といつまでもゆんたくしてしまう。
時間の流れが、いつもよりずーっとずーっとゆっくり感じられる空間がここにはある。
  

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2007年01月16日

DFSギャラリア沖縄

■『DFSギャラリア沖縄』



こちらは紹介するまでもなく免税ショッピングのお店です。
ホールのデザインが格好良かったので撮ってみました。

国内旅行なのに免税ショッピング!

※ 『DFSギャラリア沖縄』 の詳細はこちら ⇒ DFSギャラリア沖縄  

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2007年01月14日

シーサー考察-7

こちらは大きくてなかなか迫力のあるシーサーです。



もうこれは 『仁王門』 のあ像うん像ですよ…。

子供は怖がって寄り付きませんでした。

場所は 『ルネッサンスリゾート・オキナワ』  

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2007年01月13日

シーサー考察-6

色使いの素敵な石垣島の 『米子焼シーサー』 です。



個人的にはかなりお気に入りの表情と色使いなのであった。

シーサーはもともと「獅子」のこと。そのルーツは古代オリエントのライオンだと言われています。中国を経てはるか沖縄に伝わる間に、今のような姿に形を変えていったようです。時代は13~15世紀位。当時は魔除けとして城門や寺社などに置かれたり、村落の出入り口等に設置され、火難(火事)や水難から人々を守る役目をしていました。それが明治以降、一般家屋の屋根に瓦が使われるようになってから、シーサーが屋根の上に上るようになります。この屋根獅子は、瓦屋根を葺いた職人が、最後の仕上げにサービスで作っていたものでした。そうしてシーサーは徐々に生活に密着した存在へと変化し、「除災招福」のシンボルとして定着したのです。

シーサーと言えば、もともとは威嚇したような鋭い顔つきが特徴でしたが、米子焼工房のシーサーは、笑っているものが多いです。魔除けというよりは、幸運を呼ぶ「招福」シーサーという感じでしょうか。ちなみに左側で口を閉じているのがメス、右側で大きな口を開けているのがオスで、オスは大きな口で幸せを呼び込み、メスは口をしっかり閉じて、その幸せを守るのだと言われています。縁起が良いので、沖縄のお土産にはもちろん、結婚祝いや新築祝いなどの贈り物として、またお店のマスコットとしても喜んでいただいております。


※ 参考はこちら ⇒ 米子焼工房

通信販売で購入できますヨ!  

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2007年01月12日

座喜味城跡

■『座喜味城跡』 (ざきみじょうせき) 【世界遺産】 沖縄







『座喜味城跡』 は雑誌で見たRの形状がとても美しいので、是非行ってみたいと思い訪れることにしました。
や~ここの城壁もすばらしい眺めでしたよ!
そして、実際にスカイライン(城壁越に見る空のライン)の美しさは感動ものでした。

この周辺は一方通行になっており、琉球ガラスのお店を探してぐるぐると廻ってしまいました。

座喜味城(ざきみじょう)は、読谷山按司(よみたんざんあじ)だった護佐丸(ごさまる)がつくったといわれているお城です。
15世紀はじめごろ、中山軍(ちゅうざんぐん)の武将(ぶしょう)として北山(ほくざん)をほろぼした護佐丸は、その後、座喜味城(ざきみじょう)をつくり山田城(やまだぐすく)からうつってきました。
沖縄本島に400~500あるといわれるグスクの中で座喜味城(ざきみじょう)のように赤土の台地にたてられているお城はめずらしく、やわらかい地盤(じばん)を強化するため、城壁(じょうへき)をびょうぶ状にしたり、はばを広げるなどのくふうがされています。


※ 『座喜味城跡』 の詳細はこちら ⇒ 座喜味城跡

(20061227旅)  

Posted by kon at 23:22Comments(0)街並探訪

2007年01月12日

シーサー考察-5

比較的交通量の多い道路脇のブロック塀とシーサーとの関係です。



歩道とブロック塀との間にある生垣の間が独特でいいでしょ!  

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2007年01月10日

首里城跡

■『首里城跡』  【世界遺産】 沖縄









『首里城跡』 は沖縄の観光地の中でもかなり人気の歴史スポットですね。
想像していた通り、たくさんの観光客が訪れていました。

城壁の石のモノトーンの色に、建物の鮮やかな赤い色のコントラストを見たとき、これは本州ではありえない組み合わせだな…と感じました。
正直な所、ちょっと合わないなというのが素直な感想であった。

もともとこの様な組み合わせであったのだろうか?
写真展示されていた昔の首里城は木造で雰囲気のあるものでしたが、白黒写真であったためどんな色であったかは定かではありません。

いずれにしても、中国大陸の影響をより濃く受けていたことが判ります。
御庭に入るともう全くの異国の地といった感じがした。

建物はというと、中国の屋根と比べて全然反り上がっていない。
現在のものは1992年に復元されたものであるからよく判らないことが多く残念です。

首里城(しゅりじょう)がいつごろ、だれによって作られたのかは明らかにされていませんが、尚巴志(しょうはし)が1429年に三山を統一してから450年間、琉球王国の王様の住まいとして国の政治や儀式、祭祀(さいし)などがおこなわれていました。
首里城は、那覇港を見おろす高さ120メートルの丘の上にあり、わき水にもめぐまれています。
これまでに王家の争いや火災、戦争などにより4回焼けてなくなりましたが、現在の首里城は、1992年に復元されたものです。


※ 『首里城跡』 の詳細はこちら ⇒ 首里城跡

(20061228旅)  

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2007年01月10日

シーサー考察-4

これは琉球村に据えられたシーサーです。



単なる酔っ払いではないようです。
自分の身長より大きな一升瓶も呑むらしいです…。

酒が飛ぶように売れそうで、なかなか商売上手ですね。  

Posted by kon at 08:16Comments(2)街並探訪

2007年01月09日

シーサー考察-3

ここで、ちょっと風変わりなシーサーをご紹介致します。



シーサー仲間です。



『こんちわっす』 と、何だか話しかけて来そうでいいでしょ!



『俺はちょっとヤンキーなんだ…』とも言いそうだ。
多分、雨でも曇りでも台風でもサングラスをしてここに座っているんだろうな…。(お疲れ様です。)

お決まりのシーサーもいいですが、茶目っ気のあるものはそれを造った人の想いが読み取れてもっと面白いです。

自分は、これを創った人の意図にまんまと乗せられてしまったようです。(笑)

沖縄へ行ったら、こんなシーサー探しをしてみても面白いかもしれませんよ。  

Posted by kon at 21:12Comments(0)街並探訪

2007年01月09日

琉球茶房 あしびうなぁ

先日、訪れた沖縄首里にて気に入ったお店があったのでご紹介します。



こんな外観です。
この雰囲気につられて入ってみることにしたのです。

あっ、小さい声で言いますが、塀の瓦の模様はペンキ塗りでした。
でも、雰囲気が良いから○です。



お店のアプローチ部分です。
民家の玄関に続いているのですが、なかなか雰囲気が宜しいのでした。



縁側から庭を見た所です。
折角でしたので、縁側で食べてみました。
というより、現実にはうちの子供がはしゃいでうるさいのではないかと推測して、お店に入るのを遠慮したというのが正解…。

『琉球庭園』 を見ながら食べる 『琉球料理』 は最高でした。
『琉球庭園』 ってこれまた絶妙に建物に合っていましたよ。

料理の方も、これがまた美味しかったですよ!

入って大正解のお店でした。

こういうお店を探し当てる嗅覚は、我ながら鋭いと思います…。

※ お店情報はこちら ⇒ 琉球茶房 『あしびうなぁ』

【琉球茶房 あしびうなぁ(遊び御庭)】~美里御殿跡~みさとうどぅん
尚寧王の時代17世紀以降、首里城の北側当蔵には八つの御殿が集中していました。御殿とは一間切りを領有し、王府の政治機構の中でも重鎖された特権階級であり、神殿親国と呼ばれた階層です。
その一つ美里御殿は、当時の三司官の住居屋敷跡でありましたが、庭園の一角を残し第二次世界大戦で焼失してしまいました。そして戦後すぐ、ここ美里御殿跡に屋敷が建てられ、現在店舗として利用しております。


(PS)
ここのブログでは、ちょっとしたこだわりがあって食べ物とかは掲載しません。
理由は、いろいろなジャンルになってしまうと、ごちゃごちゃしてしまい見づらいし単なる日記となってしまうからです。
それらは、 『▼日々喜怒哀楽▲』 の方でたまにUPしていますのでこちらをご覧下さい。  

Posted by kon at 17:02Comments(0)街並探訪

2007年01月09日

シーサ-考察-2

こちらは公会堂前に据えられたシーサーです。



最初は大きな家だな~なんて思っていたら、それは公会堂でした。
公の場にもしっかりと据えられているのです。



Tの字になった交差点に設置されていたシーサーと 『石敢當』 (いしがんどう、いしがんとう) です。

この様にダブルに配置するのはいかにも現代人の様な感じがしました。
より強そうですよね。(笑)
面白かったので撮ってみました。
また、中央の標語を入れた三つ並んだレイアウトもいいでしょ!
妙にまとまっていてほのぼのとしていました。

そして、中央の看板にはこの様に書いてありました。

『木を植える 命を植える 夢植える ふれあいの村 安らぎの里』

※ 『石敢當』 とは ⇒ 『石敢當』

石敢當(いしがんどう、いしがんとう)は主に沖縄県でよく見かける、石碑や石標の名称。石敢当、泰山石敢當、石敢東、石散當、石散堂と書かれたものもある。沖縄本島を中心に、周辺諸島に数多く点在しているが、本州では少ない。また、薩南諸島・奄美群島を含め、鹿児島県にもかなり存在し、こちらでは「せっかんとう」とよばれることが多い。

沖縄では、市中を徘徊する魔物「マジムン」はまっすぐ直進する性質を持つため、T字路や三叉路にぶつかると向かいの家に入ってきてしまうと信じられている。そのためそれを避けるために、あらかじめ魔物が入ってきてしまいそうなところに、表面に「石敢當」と漢字で書かれた石碑を建てたり、石版を壁面に貼り付けることで魔よけとする。また、コンクリートの壁面に直接ペンキ等で「石敢當」の文字を書き込んだ例も見られる。

これは中国伝来の風習で、福建省が発祥とされている。似たような魔よけは中国のみならず、台湾・シンガポール等の一部の地域にも見ることができる。「石敢當」の名前そのものの由来は後漢代の武将の名前とも名力士の名前ともされるほか、石の持つ呪力と関わる石神信仰に由来するとの説もあり定かではない。ただし、沖縄では未だに根強く続く風習で、当地ではT字路や三叉路が多いことから、現在でも沖縄の各地で新しく作られた大小様々の石敢當を見ることができる。また、近年はシーサー同様に土産物品としても作られている。
  

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2007年01月09日

シーサー考察-1

ちょっと休憩を兼ねて、シーサー考察に入ろうと思います。



何の変哲もないブロック塀がアートになっているでしょ?
こういう所が沖縄の田舎のいい所ですね。



自分と同じ名前だったから、思わずニコッと微笑み写真を撮ってしまいました。
あなたと同じ名前があるかもしれません…。

大部分の物にその製作者と作成年月日が入れられていました。

※ 場所は中城村の 『中村家住宅』 界隈にあります。  

Posted by kon at 00:13Comments(0)街並探訪

2007年01月08日

中城城跡高原ホテル

■『中城城跡高原ホテル』 廃墟 沖縄









初めてそれを見た時、邪魔だな~あの建物は!と思った。

そう、それは世界遺産である 『中城城跡』 に隣接していて写真を撮る際イヤでもそれが映ってしまうから、そう思ったのである。
その建物はとても邪魔で景観を損なっていた。

しかし、よく見るとそれは鉄筋コンクリートの柱と梁だけで出来ていてその他は未完成の様であった。
とりあえず気になったので興味の赴くまま近くまで行ってみたのです。

すると、正面玄関前には何だか過激な文字が書かれていて、より 『何なんだ?』 と思った。
玄関から覗くと廊下が学校みたいにず~っと続いていてその先が見えなかった。

建物の造りは、一昔も二昔も前に流行ったような造りでどんどん増築を重ねていったのだろうか?
一つだけでも大きいのに、下の方にもどんどんつながっている様にも見える。
こりゃとてつもなく大きな建物だな、いったい何の建物の跡だ?

それにしても奇妙な建物だと思わざるを得ない。
中に入るには時間もないし、正直ちょっとイヤ~な感じもしたので写真を撮るだけでそのままスルーして来ました。

※ 写真は以下の構成で撮りました。
・南側外観
・建物全体
・正面玄関
・『中城城跡』 との距離感

いや~不気味でしたよ。
本当に何か住んでいそうな気配がありました。
映すだけでも何だか幽霊が映っていそうで…。

で、旅から帰って来て、ちょっと調べてみました。

すると、これは中城高原ホテル跡で経営企業が倒産しオープンしないまま残されたものだということが判りました。

※ 『中城城跡高原ホテル』 の詳細はこちら ⇒ 廃墟 『中城城跡高原ホテル』

【内容】
日本は今、空前の廃墟ブームを迎えている。危うくてどこか懐かしい気持ちにさせてくれる「廃墟」。その魅力(魔力)に人々は虜にされてしまう・・・。この作品では、その圧倒的な魅力を流れるような映像美と音楽に乗せて演出し、廃墟ファンにお届けする。監督は気鋭の新人監督、松浦徹氏。

この沖縄県中頭群中城村にある「中城城跡高原ホテル」は、数ある日本の廃墟の中でも、特に人気のある廃墟で、その大きさは特筆すべきものがある。75年の沖縄海洋博当時に建設され、結局日の目を見ることなく廃墟となった巨大なリゾートホテル。目前には世界遺産に登録された中城城跡がある。

海の近くにそびえ立つ異様な巨大リゾートホテルの亡骸。海と空の境目も分からないような大自然。沖縄では珍しい起伏が少ない高台に、山の斜面に添うように、この廃ホテルとなった巨大廃墟はその姿を残している。当時の最新技術を駆使したであろう痕跡を残したむき出しのコンクリート。宮崎駿の世界を彷彿とさせる瓦作りの屋根。牢獄のような客室跡。地獄への入り口かと思わせる赤絨毯の廊下・・・。その全てが当時の繁栄を感じさせるに十分な物たちだと言えよう。


※ 詳細リンクはこちら ⇒ http://gpzagogo.s8.xrea.com/nakagusukuhotel.html
(私見ですが、とても判り易く掲載・解説されておりました…。内容も面白いのが○です。)

(20061227旅)  

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2007年01月08日

中城城跡

■『中城城跡』  (なかぐすくじょうせき) 【世界遺産】 沖縄







こちらの城跡には、朝一番である見学開始時刻に行ったので、じっくりと見ることが出来て良かったです。
城跡はとても見晴らしが良い所に建っていました。

中でも一番興味深かったのは、『南のくるわ』 でした。
そこは、いくつもの拝所がある聖域となっており、本州では感じることない空間となっておりました。
現在でも信仰の対象となっている場所とのことでした。

基本的に、『城跡』 というものは、言い方を変えれば 『もう死んでいる』 わけであって、遺構なのであります。
その中において拝所は、信仰の対象として 『脈々と受け継がれ現在も生きている』 から、興味をそそられるのかもしれませんね。

こういう所には、ワイワイガヤガヤ大所帯で行くべきではないと感じました。

ついでに、地図に載っていた少し離れた場所にある護佐丸のお墓にも行ってみました。
辺りはうっそうとしていて、正直ちょっと怖かったです…。(泣)

15世紀ごろ、勝連城主(かつれんじょうしゅ)の阿麻和利(あまわり)を見はるため、王様の命令によって座喜味城主(ざきみじょうしゅ)だった護佐丸(ごさまる)がうつり住んだ城です。
守りやすく攻めにくくするために、一目で周囲を見わたせる高さ167メートルの台地につくられています。

護佐丸は、北山(ほくざん)をせめたとき、なかなか落ちなかった今帰仁城(なきじんじょう)をまねて、がんじょうな座喜味城(ざきみじょう)をつくり、中城城(なかぐすくじょう)では、戦いにすぐれた城にするために手を加えたといわれます。


※ 『中城城跡』 の詳細はこちら ⇒ 中城城跡

※ こちらもご覧下さい! ⇒ http://konarch.blog4.fc2.com/blog-entry-478.html

そして、中城城跡の隣の場所にはなんとも不気味な 『廃墟』 があったのでした…。(近日UP予定)

(20061227旅)  

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2007年01月08日

中村家住宅-2

■『中村家住宅』 【国指定重要文化財】 沖縄





建物の配置は、道路に面する場所にまず衝立 (ついたて) の壁があって、そこを通り過ぎると中庭があり、その中庭を囲むようにしてコの字型に設置されております。

玄関や土間はなく、中庭から各場所へ入れる様になっていて、中国や韓国の住宅と同じ様式ですね。

建物には心地よい風が通り抜ける様になっています。
本州の住宅と一番違うのは、柱が1間間隔に設置されているということです。
沖縄という場所柄、木材の供給があまりなく (当時はどうだったか判りませんが…) 構造材として使われる材料も違います。
杉や檜なんかで創られてはおりません。
縁側の柱は変木 (へんぼく) で曲がっております。

屋根の上には、お決まりの 『シーサー』 が設置されています。

とても興味深い、沖縄では本当に数少ない古い住宅なのでした。

※ 『中村家住宅』 の詳細はこちら ⇒ 中村家住宅

(PS)
『写真撮って下さい!』 と言う家族がいたので、撮って上げたら、『さすが、プロカメラマン!』 と子供さんである小学生に言われてしまいました。
あの~、プロではないのです…ただ 『一眼レフ』 を持って街並探訪している通りがかりの者です。(笑)

(20061227旅)  

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2007年01月07日

中村家住宅-1 

■『中村家住宅』 【国指定重要文化財】 沖縄







とりあえず、概観のみ先にUPさせて頂きます。

現存する建物は18世紀中頃に建てられたと伝えられています。建築構造は、鎌倉・室町時代の日本建築の流れを伝えていますが、各部に特殊な手法が加えられて、独特な住居建築になっています。この遺構は、士族屋敷の形式に農家の形式である高倉、納屋、畜舎等が付随して沖縄の住居建築の特色をすべて備え持っています。屋敷は、南向きの緩い傾斜地を切り開いて建てられており、東、南、西を琉球石灰岩の石垣で囲い、その内側に防風林の役目を果たしている福木を植え、台風に備えています。

※ 『中村家住宅』 の詳細はこちら ⇒ 中村家住宅

(20061227旅)  

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2007年01月06日

守礼門

■『守礼門』 【世界遺産】 沖縄



守礼門のある所は想像していた場所とは違っていた。
それを見るのに、裏側から入って一度門をくぐって覗き込むようにしたからかもしれない…。
やはり物事にはプロセスというものがある。
同じ物を見るにしてもアプローチ方法によって違う表情を見せるものだ。
天気にも左右されるし…。
でも間違いなくそこにあの有名な守礼門が存在していた。

この様な門は初めて見た。
色といいその形といい、何だか異国の地に踏み入れた様な感じがしたのである。

そして、それは『首里城』の城壁(石の色)と建物の色(赤)のコンストラストを見た時に、より異国に感じたのである。

「守礼(しゅれい)」は「礼節を守る」という意味で、門に掲げられている扁額(へんがく)には「(しゅれいのくに)」と書かれている。「琉球は礼節を重んずる国である」という意味である。首里城は石垣と城門の多い城であるが、中でもデザイン上バランスがとれ、エレガントな雰囲気のある代表的な門がこの「守礼門」である。中国風の牌楼(ぱいろう)という形式で建立されている。

首里城での多数の城門や建築物には「公式の名称」の他に「別名」が付けられている。それらの呼び名から往時の琉球人の詩的な感覚が読みとれる。守礼門は古くは「首里門(しゅりもん)」ともいわれたが、庶民は愛称として「上の綾門(いいのあやじょう」と呼んだ。「上の方にある美しい門」という意味である。

1527~55年(第二尚氏4代目尚清王(しょうせいおう)代)にはじめて建立され、1933年(昭和8)に国宝に指定されたが沖縄戦で破壊された。現在の門は1958年(昭和33)に復元されたもので、その後今日まで沖縄を象徴する観光施設として利用されている。2000年の記念紙幣2,000円の絵柄にもなっている。


※ 『守礼門』 の詳細はこちら ⇒ 守礼門

そういえば…最近、2,000円札って見ないな~。

(20061228旅)  

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2007年01月05日

美ら海水族館

■『美ら海水族館』 沖縄







美ら海水族館は、家族で沖縄へ行ったらまず一番に行きたい所だと思います。
否、仲間同士で行っても行きたい所かもしれません…。
美ら海水族館は景色の素晴らしい所に建っています。
おそらく春夏秋冬変わらぬ景色がそこには広がっていることと思います。
水槽の中には様々な魚がいるのですが、ちょこまかしたものを見なくてもここにはメインの水槽があるので、それを見るだけで十分満足出来ると思います。
そして、その巨大な水槽の中にはジンベエザメやマンタその他の魚が楽しそうに泳いでいます。
その圧倒的なスケールに、まるで海の底に潜ってしまった様な感覚にさえなってしまいます。

沖縄周辺の海は、巨大な暖流「黒潮」、サンゴ礁、南西諸島の東西に位置する深海の3つの要素により、生き物の生息環境を形作っており、そこには、多種多様な、世界有数の生物種が生息する神秘的な海の世界が広がっています。

そんな沖縄周辺の海の、水面から水深1000m付近までを再現し、光、水質、透明度など、できるだけ自然の海に近い状態に保っています。海岸から沖合、黒潮、さらに深海へと旅する形で疑似体験していただき、沖縄の海の素晴らしさ、大切さを体験、体感していただける展示をしています。

単に水槽を組み合わせて見せるだけの展示に終わらせず、さまざまな角度から見られる工夫を施しました。また解説員によるプログラムガイド・コミュニケーションガイドを組み込んだり、常設展示では数回の企画展示も開催するなど、何度訪れても新たな発見がある、海への興味がつきない水族館づくりを目指しています。

水族館の名称について「美ら」は「ちゅら」と読み、沖縄の方言で「美しい」「綺麗」という意味になります。


※ 『美ら海水族館』 の詳細はこちら ⇒ 美ら海水族館

(20061226旅)  

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