› ☆近建築設計室の 『Etc』 › 2007年02月
2007年02月15日
2007年02月14日
消防博物館-1
■『消防博物館』
屋上にはヘリコプターが置いてあり、なんと…操縦席に乗ることが出来ます。(操縦は出来ませんが)
ヘルメットをかぶって一昔前の消防車に乗って記念撮影!
かなり本格的な動く模型や映画上映もあります。
子供を連れての社会勉強には最適なスポットだと思います。
大人も勉強になりますよ。
※ 『消防博物館』 の詳細はこちら ⇒ 消防博物館
(20070204旅)
屋上にはヘリコプターが置いてあり、なんと…操縦席に乗ることが出来ます。(操縦は出来ませんが)
ヘルメットをかぶって一昔前の消防車に乗って記念撮影!
かなり本格的な動く模型や映画上映もあります。
子供を連れての社会勉強には最適なスポットだと思います。
大人も勉強になりますよ。
※ 『消防博物館』 の詳細はこちら ⇒ 消防博物館
(20070204旅)
2007年02月11日
2007年02月09日
適塾-2
■『適塾』 【重要文化財】 大阪
この様な2段の障子は初めて見ました。
上を閉めると京都は大徳寺孤篷庵忘筌(ぼうせん)席みたいになりますね…。
中央の鴨居を触ったら案の定、ぐらぐらしていました。
2階にある塾です。
ここに上がる階段はものすごく急勾配でした。
どれくらい急かというと、3尺で2階へ5~6段で上がりきるものでした。
庭です。
小さく狭い所にうまく造りますね、昔の人は…。
この様な2段の障子は初めて見ました。
上を閉めると京都は大徳寺孤篷庵忘筌(ぼうせん)席みたいになりますね…。
中央の鴨居を触ったら案の定、ぐらぐらしていました。
2階にある塾です。
ここに上がる階段はものすごく急勾配でした。
どれくらい急かというと、3尺で2階へ5~6段で上がりきるものでした。
庭です。
小さく狭い所にうまく造りますね、昔の人は…。
2007年02月07日
適塾-1
■『適塾』 【重要文化財】 大阪
新幹線に揺られながら 『るるぶ大阪』 に目を張り、このスポットに行ってみることにしました。
まずは外観から…。
適塾の盟主は緒方洪庵(1810~1863)である。当代きっての蘭方の医者、学者であって、教育者でもある。
1838年(天保9)から1862年(文久2)の25年間大阪・船場にあって塾を開き若き人々の教育にも多大の精力を注いでいた。その力量を知る幕府は1862年(文久2)、江戸に召しだし奥医師とすると同時に西洋学問所の頭取としたのである。洪庵不在の時期も義弟や子息、門下生達は塾を守り、さらに分塾をするほどに発展したが、明治新政府の教育制度の整備と共に発展解消し、大阪医学校、府立医科大学、さらには大阪大学へと発展し、今日にいたっている。
適塾は全国から駆けつけた塾生にあふれ、談論風発の気風はその後の明治維新の激動の中、日本の運命に大きく貢献した多くの人材を輩出している。そんな塾生には福沢諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲などがいる。
適塾は昭和15年に大阪府の史跡、翌16年には国の史跡として指定され、昭和39年に重要文化財として指定された。その間の昭和17年緒方家から国(大阪大学)に建物が寄贈され、今日にいたっている。
適塾は江戸末期の遺構として、当時の大阪の船場町屋の姿を伝える貴重なものであって、昭和51年から実質5年を掛けて解体修理を行い、修復を機に広く一般に公開している。
地元の小学生の社会見学とかち合い、ゆっくりとは見られませんでした…。
※ 『適塾』 の詳細はこちら ⇒ 適塾
(20070206旅)
新幹線に揺られながら 『るるぶ大阪』 に目を張り、このスポットに行ってみることにしました。
まずは外観から…。
適塾の盟主は緒方洪庵(1810~1863)である。当代きっての蘭方の医者、学者であって、教育者でもある。
1838年(天保9)から1862年(文久2)の25年間大阪・船場にあって塾を開き若き人々の教育にも多大の精力を注いでいた。その力量を知る幕府は1862年(文久2)、江戸に召しだし奥医師とすると同時に西洋学問所の頭取としたのである。洪庵不在の時期も義弟や子息、門下生達は塾を守り、さらに分塾をするほどに発展したが、明治新政府の教育制度の整備と共に発展解消し、大阪医学校、府立医科大学、さらには大阪大学へと発展し、今日にいたっている。
適塾は全国から駆けつけた塾生にあふれ、談論風発の気風はその後の明治維新の激動の中、日本の運命に大きく貢献した多くの人材を輩出している。そんな塾生には福沢諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲などがいる。
適塾は昭和15年に大阪府の史跡、翌16年には国の史跡として指定され、昭和39年に重要文化財として指定された。その間の昭和17年緒方家から国(大阪大学)に建物が寄贈され、今日にいたっている。
適塾は江戸末期の遺構として、当時の大阪の船場町屋の姿を伝える貴重なものであって、昭和51年から実質5年を掛けて解体修理を行い、修復を機に広く一般に公開している。
地元の小学生の社会見学とかち合い、ゆっくりとは見られませんでした…。
※ 『適塾』 の詳細はこちら ⇒ 適塾
(20070206旅)
2007年02月05日
国土交通省
■『国土交通省』
建築を生業としている者は、ここへは是非とも出頭して頂きたい。(笑)
『国土交通省』 なんて普通写真撮らないよね…。
※ 『国土交通省』 の詳細はこちら ⇒ 国土交通省
これをクリックする人は、かなりの達人か変わり者だと推測します。(あんたも好きね~)
(20070204旅)
建築を生業としている者は、ここへは是非とも出頭して頂きたい。(笑)
『国土交通省』 なんて普通写真撮らないよね…。
※ 『国土交通省』 の詳細はこちら ⇒ 国土交通省
これをクリックする人は、かなりの達人か変わり者だと推測します。(あんたも好きね~)
(20070204旅)
2007年02月01日
Eディフェンス
建築士会の有志で 『Eディフェンス』 の見学に神戸へ行って来ました。
ここでは実物大の建築物を揺すって耐震性を調べることが出来るのです。
規模はとてつもなく大きいです。
中遠支部の精鋭達です。自分はカメラマンだったので映っていません…。
とてつもなくでかい建物がそこに存在しておりました。
今回は伝統工法で建てられた家の実験を行いました。
また機会があれば参加してみたいと思いました。
朝4時起きの夜11時帰宅はちょっとしんどかったです。
『Eディフェンス』 の詳細はこちら ⇒ 兵庫耐震工学研究センター
(20070130研修)
ここでは実物大の建築物を揺すって耐震性を調べることが出来るのです。
規模はとてつもなく大きいです。
中遠支部の精鋭達です。自分はカメラマンだったので映っていません…。
とてつもなくでかい建物がそこに存在しておりました。
今回は伝統工法で建てられた家の実験を行いました。
また機会があれば参加してみたいと思いました。
朝4時起きの夜11時帰宅はちょっとしんどかったです。
『Eディフェンス』 の詳細はこちら ⇒ 兵庫耐震工学研究センター
(20070130研修)