2006年12月19日

網走監獄

■『網走監獄』 網走

網走監獄

網走監獄

網走監獄

『網走監獄』 は現在、収容者はいません…。
建物も有名ですが、その歴史について知ることはいいことだと思います。
網走に行ったら、ここは外せない所ですね。

【ちょっと解説】

■博物館網走監獄の特徴
博物館網走監獄は、明治以来、網走市と深く関わりを持っていた網走刑務所旧建造物を保存公開する野外博物館です。
網走国定公園の景勝天都山網走湖側に位置し、敷地面積は約東京ドーム3.5個分に相当します。
ユニバーサルミュージアムを指標に、日々施設充実を目標に地域に根ざした活動を進めています。

■網走監獄と網走
それは、今から115年ほど昔の物語です。
世の中が、江戸から明治と大きく切り替わり、町を行く人たちの「ちょんまげ」が「ざんぎり頭」に変わり、腰に刀をぶら下げた人たちも少なくなって ほんの二十年くらい後の日本の北のはじっこの寂しい漁村が舞台です。
冬になると海まで凍ってしまうその村では、なかなか開拓も進まず、十年ほど前にやっと、村で越冬する人たちが増えてきた、そんな場所でした。

そんな村にある日、立派な髭を蓄えた役人がやってきます。役人は、村の中を歩きまわり、村はずれの小高い山に登ってみたのです。北にオホーツク海、南に網走湖、西には能取湖と三つの大きな水面が見えるその山のふもとに、前に大きな川が流れる平らな場所を見つけます。
「よし、ここに決めた!これなら逃げづらいし、看視もしやすいぞ」

それから一ヵ月後、村に奇妙な赤い着物に身を包み、手足を鉄の鎖で繋がれた屈強な男達が50人現れます。男達は監視する役人の指示のもと、川に面した森の大きな木を次々と切り倒すと、それを材料に自分達が寝泊りする小屋を建てはじめました。次の月には、また50人の鎖で繋がれた男達が現れ黙々と仕事を手伝い始めます。その次の月にもまた鎖で繋がれた男達が現れ・・・・

村の人たちが気がついたとき、そこには千人の囚人が生活ができる大きな刑務所ができあがっていました。
架けられた看板に書かれた名前は「釧路監獄署 網走外役所」、千人の囚人を監視する職員達もみんな家族を連れて村にやってきました。村の人口はいっぺんに何倍にも増え、そうすると物を売る商人達も次々と村に店を構えるようになり・・・村は、このあたりでは一番にぎわう場所になっていました。

ここから、網走の街と、網走刑務所の長く不思議な物語の幕が開きます。
時に協力しながら開拓の鍬をふるい、時にはあまりにも刑務所の名前が有名になりすぎたことから町から出て行ってもらおうと排斥運動があったこともあります。
忘れていけないのは、他の街と網走をつないで延びる道路や鉄道の線路も、現在多くの人たちが降り立つ空港も、オホーツクの海の幸を満載して帰ってくる漁船が横付けする港も、秋になると豊かに実る広大な農地も、みんな、みんな最初に作ったのは網走の囚人達だったとのことです。作業の過酷さに多くの囚人達がこの網走を終焉の地としながら・・・・
そうして「街」と「刑務所」は、歴史の表裏で不思議な物語をつづり続けているのです。

当館では、明治時代から実際に網走刑務所で使用されてきた建物を保存公開しています。もっとも古い建物は、網走に刑務所がやってきて6年後、今から109年も前の建物です。現在と違って木を製材するのも、機械を使わずに手作業で行ったころのこと、太い梁や柱には、囚人達が削ったあとが荒く残っています。

当館の見学を通じて、この不思議な歴史物語に触れてみませんか。まずはこのWebをのぞいて見てください。


※『網走監獄』の詳細はこちら ⇒ 網走監獄


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